【Vol.2】北海道厚真町×日新火災 5年たった被災地のいま、「胆振東部地震」を振り返る
連載形式で始めた北海道厚真町×日新火災の連携協定にまつわるアクションnote。今回で2回目です。
前回のVol.1では「復興・地方創生に向けた連携協定」を締結した背景や今後の展開についてお話ししました。
Vol.2では、胆振東部地震の被災地をめぐり、5年たった被災地のいまを振り返りたいと思います。なお、この記事には被害を記載している文章や写真があります。
2018年9月6日 午前3時7分
この時間は、北海道の胆振地方中東部を震源とする地震が発生した時間です。 気象庁によると、地震の規模を示すマグニチュードは6.7、最大震度は厚真町の震度7で、北海道で観測史上初めて震度7を記録しました。
約44km2の山の斜面が崩壊したのは記録が残る明治以降最大とされています。山の斜面がまるで乱れ裂きされたような写真は、何度見ても衝撃です。斜面崩壊により日高幌内川では大規模河道閉塞が発生しました。閉塞した川の長さは約1,100m。イメージが湧きづらいですが、山が崩れ土砂が河川の1キロ以上をも完全に埋めてしまったということです。
なぜこのように大規模な斜面崩壊が起きたのでしょうか。これは、厚真のもつ歴史も関係してくるようです。樽前山という山が近くにあり、長い歴史のなかで噴火を繰り返してきました。そのたびに火山灰の層が形成されてきました。火山灰層と水を通さない粘土層の間に、長雨による地下水がたまっていたことや、地震前日の台風21号等の影響で表土は緩くなっていた状況で崩れやすかった状況ができあがっていたようです。
人的被害、建物被害は44名(災害関連死3名を含む)の尊い命が失われたほか、785名が負傷。住家全壊491棟、住家半壊1,818棟、一部損壊47,115棟にのぼりました。住家への被害にとどまらず、浄水場等の公共施設や農業関係の施設、水路等の生産基盤にも大きな被害を受けています。
北海道のほぼ全域で「ブラックアウト*」が生じたことも、記憶に残っている方もいるのではないでしょうか。震災から5年、厚真町は、どのような時を過ごしてきたのでしょうか。
*ブラックアウトとは、大手電力会社の管轄する地域のすべてで停電が起こる現象をいいます。
平成 30 年胆振東部地震による被害状況等(第 125 報)
吉野地区と冨里地区をめぐる
私たちは、厚真町町役場の参事 小山 敏史さん(こやま としふみさん、以下小山さん)に厚真町のなかでも最も被害が大きかったとされる吉野地区と冨里地区にある浄水場を案内していただきました。
山肌が見える景色がずっと続きます。「この場所には家があって、田んぼがあって……」と小山さんが説明してくれましたが、とても人が生活していたと思えない風景。吉野地区では発災当時13世帯34名が居住していたといいます。集落全体で土砂災害が発生し多くの命が失われました。この場所は令和2年度に復旧工事が完了し、工事完了後から植樹活動がされているといいます。復旧工事は完了したとしても、元の姿に戻ることはありません。これはどの被災地にもいえることかもしれませんが、以前と同じ生活はそこにはありません。何を植樹されたのかお聞きすると「桜の木」だそう。寒い北海道の冬を乗り越え、いつか満開になるとまた違った想いを持てるのかもしれないです。
次に案内いただいたのは冨里地区にある冨里浄水場。震災当時新設1カ月だった町内全域をカバーする浄水場が、土砂にのみこまれて機能不全に陥りました。復旧工事では土砂をとりのぞくだけでなく、少し高台かつ山の斜面に面していることから、崩落防止策をほどこしています。そして、配水管の工事を終え、2020年7月末に浄水場の給水は再開したそうです。
車を走らせるといたるところで、山肌が見える場所があったり、砂防ダムを工事していたりします。5年経過したいまでも、復興したわけではなくその途中であることがわかります。そこでふとした疑問がわきます。土砂はいったいどこへいったのか?小山さんが教えてくれました。
「冨里地区から少し山の方へいった場所では、山が動いた影響で天然のダムができてしまいました。天然のダムは決壊のリスクがあるので、地震で出てしまった土砂の一部で埋めていったんです。」
つづけて、
「住民の皆さんが生活する場所を、土砂を運ぶ大型のダンプが1日に何百台も行き交う。ダンプが通るたびに揺れる。そこで生活する人たちにとっては復興・復旧するには仕方がないことであるものの、ストレスに違いないですよね。こういった報道されない小さな事象もたくさんあった。」と語ります。
胆振東部地震の行方不明者の捜索は、わずか4日で完了しています。広範囲の土砂崩れは、捜索範囲も広く難航すると考えられます。なぜ、早期に完了したのでしょうか。
「地域コミュニティがしっかり築かれていたからだと思う。あの人は普段2階に寝ているはずだとか。そういった普段の会話で見える行動パターンが、捜索する際に非常に有効な情報源でした。」
と、小山さんは教えてくださいました。これは、どんな災害が起きても、地域コミュニティ、要するに近所付き合いが大切であることを感じずにはいられません。
復興のその先はー。関わることで何かが変わる?
今回私たちが案内いただいたのは、ほんの一部でしかありません。山が動いた、未曽有の被害、そんな状況でもこの5年間で町はどんどん活気づいているとのこと。それは、地震の復興に関わるボランティアの方だったり、厚真町へ移住者してくる方がいたり、さまざまな人の関わりが増えていくことで、一歩ずつ一歩ずつ元の姿以上の魅力的な町“厚真”になろうとしている姿が印象的でした。
私たちは厚真町に住んでいるわけではないけれど、「厚真町に関わっていく=“厚真る(あつまる)”」ことで、復興への未来へつなげていけたらと改めて感じるのでした。